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畠中実(ICC主任学芸員)

2020.01.24

映画は、ジガ・ヴェルトフが「映画眼(キノグラース)」と言ったように、カメラという機械の眼によって、人間の眼の能力を超えた、さまざまな視覚体験をもたらした。それによって、わたしたちの眼は対象を拡大し、対象の中に入り込み、空を飛び、雲の上から街を眺めたり、ものすごい速度で空間を駆け抜けたり、といった非日常的な視覚体験が可能となった。また、人間の眼よりも高解像度の視覚は、知覚の情報量を飛躍的に増加させ、機械の眼によってしか得られない、人間の眼の模倣ではない視覚によって、世界を新たにとらえ直すことができるようになった。一方、聴覚のみによる、映画的体験の創造は、映画作家であるヴァルター・ルットマンをはじめ、リュック・フェラーリによる「耳のための映画」や「逸話的音楽」、ブライアン・イーノ「音のみの映画」といった、映像的音楽の試みとして、これまでも幾人かの音楽家によって実践されてきた。あるいは、オスカー・フィッシンガーによる、見る音楽としてのヴィジュアル・ミュージックなど、視覚体験と聴覚体験を越境しようとうする試みが行なわれてきた。『See by Your Ears』は、こうした試みにおける、もうひとつのディメンションを提示する。映画における音が、画面という切り取られた空間外の時空間を示唆するように、視覚を遮断された状態で、音は自在に時空間を生成する。わたしたちは、evalaがテクノロジーによって作り出した真暗な聴覚空間に投げ出され、音によって脳内に生起するイメージによってのみ、世界をいま一度とらえ直す。それは既存の視覚的なイマジネーションにとらわれない、「見ることができない」イメージ体験となることだろう。わたしたちの耳が、これほどまでに豊かなイマジネーションをもたらす感覚器官であったのか、という発見とともに、耳という器官がアップデートされ、「見えること」を超えた、イマジネーションの驚くべき世界がひらかれる。