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橋本幸士(理論物理学者)

2016.12.16

アインシュタインの視界が見える気がする。《hearing things #Metronome》は、時間と空間が織りなす「時空」の限界を突破していた。それは、高次元なのだろうか。 人間、見えないものを見せられると、目を見開くものだ。ただ、そう言われても、本当に目を何分間も見開くような体験は、人生にほとんどないものだろう。僕は、眼前の暗闇に現れた幾重もの時空に、目を凝らすしかなかった。それは、アインシュタインが見た時空かもしれなかった。暗室の正面に置かれたメトロノームは、無限遠の観測者の固有時を刻んでいる。そこに、他の観測者の時刻が刻まれ始める。同じ時空にいるはずの、他の観測者から発せられたメトロノームの音打が、自分に到達する。音の頻度、高さ、そういったスペクトルから想像すれば、自身が相対論的な速度そして恐ろしい加速度で運動していることが判明する。暗室の宇宙空間でどう目を凝らしても、そんな加速度で運動すれば、自身がどこにいるのか、どこにいるべきなのか、が判断できるわけはない。しかし、目を凝らすほか、なかった。物理学で学ぶ特殊相対性理論では、観測者が時空のローレンツフレームを決め、時空の図が描かれる。特殊相対性理論を創始したアインシュタインは、自在に時空フレームを行き来し、時間に関するパラドックスを解きほぐしていったに違いない。幾つかのローレンツフレームを行き来するには、ローレンツ変換の鍛錬が必要である。等速運動ならまだしも、加速度運動の場合は、ブラックホールのような時空の地平面が現れ、観測者の間の関係はかなり非自明になる。時空の歪みまで解明したアインシュタインは、思考実験により、たくさんの観測者のフレームを自在に行き来していたことだろう。アインシュタインの視点は、フレームという概念を超えた、我々が想像すらできない視点だったに違いない。アインシュタインは何を「見て」いたのだろうか? 暗闇のメトロノームは、そのうち観測者の数を増やし、僕を混乱に陥れた。そこには観測者の墓場があった。死に物狂いの音打が重なり、ブラックホールの地平面に落ちていく最後の嗚咽が、合唱となった。無限の観測者が一度に情報を発信した。そこにはもう、時空フレームの概念は無かった。いや、むしろ、それを超えた概念が在った。その概念は、僕の中で消化されずに、今も眼の裏側でうずくまっている。時間と空間の概念を変革したアインシュタインは、相対性理論として現在知られる時空以外の、もっと他の種類の時空をたくさん「見て」きたに違いない。だから、変革ができたのだ。時空のフレームを突破するとはどういうことか。既存の科学の枠組みを高次元へ超えるとはどういうことか。《hearing things #Metronome》は、その一例へ、僕を体ごと連れて行ってくれた。 evalaさん、ありがとう。